野田市

櫻木神社 / 千葉県野田市

沿革・概要

千葉県野田市桜台に鎮座する櫻木神社です。かつて櫻の宮と呼ばれた野田市最古の神社です。西暦851年に藤原嗣良公によって創建され、その後代々高梨家が祭祀を継承し、現在に至っています。櫻木神社には約400本のさくらが植えられており、春になると境内のあちこちにあるさくらが綺麗に咲き誇り、多くの参拝客で賑わいます。また11月ごろには秋に咲く冬桜も見ごろになります。珍しいところでは、日本三大桜の一つ、福島県「三春滝桜」の実生クローン種の桜が大鳥居を抜けて右側に植えられています。今では樹形が本家に似てきているとも言われています。神社周辺は桜台遺跡という古墳時代の祭祀遺跡で、祭祀に関係する石製品が多く出土しています。祭祀に関連する出土品が多いということは、藤原嗣良公がこの地にやってくる以前より中央政権と何らかの繋がりがあったことが推察されます。

櫻木神社はさくらをイメージした素敵な御朱印帳を数多く出されていることでも有名です。3種類の定番の御朱印帳のほかに、毎年4月の例大祭時にデザインの異なった春大祭限定御朱印帳を出しています。さらに、毎年年度限定の御朱印帳も出されており、いずれも人気の御朱印帳です。御朱印も季節や祭事に応じた限定御朱印を出しており、これも櫻木神社を有名にした要因だと思われます。

櫻木神社へは東武アーバンパークライン野田市駅で下車し、キッコーマンの工場を横目に見ながら、突き当りを右に、またすぐに左に曲がり野田二中方面に向かいます。野田二中を左手に見ながらまっすぐ進むと右手は櫻木神社の社叢です。

神社情報

櫻木神社(さくらぎじんじゃ)

御祭神:倉稲魂命、武甕槌命、伊弉諾尊、伊弉冉尊
御神徳:五穀食物、商業・産業繁栄、勝機勝運、健康長寿、良縁、夫婦円満
社格等:村社
例大祭:4月17日
鎮座地:千葉県野田市桜台210
最寄駅:野田市駅(東武アーバンパークライン)
公式サイト:http://sakuragi.info/

<御祭神:倉稲魂命> 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は古事記、日本書紀に登場する神である。稲の精霊が神格化されたもので、五穀、食物をつかさどる。「古事記」では須佐之男命と神大市比売(かみおおいちひめ)の子で、宇迦之御魂神と書く。「日本書紀」では伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉(いざなみの)尊の子である。

御由緒

当神社は社記によると、平安朝の仁寿元年(西暦八五一年)に、大化の改新で活躍した大職冠藤原鎌足公五代の後胤で、冬嗣公の三男嗣良公がこの地に居を移した時、この処に櫻の美しい大木があり、公がこれの木のもとに神殿を建立したことにより古くより櫻の宮と称へられております。

その後、公の一族にあたる良世公の孫藤原則忠氏(高梨相模)が祭祀を継承したと伝へています。以来広大な御神徳により、広くこの地の開発の守護神として御神慮を示され、また野田市最古のお社としてその歴史を重ね、参詣する人みな朝に祈り、夕に感謝の誠を捧げてまいりました。

当地御鎮座後も、
さくら咲く 櫻の宮に詣づれば
大神の恵みいただき 大願開花
と、祈るもの後を絶たず各地より多くの崇敬をあつめております。

櫻木神社由緒書より

 

神事・祭事

1月1日/歳旦祭
2月第二日曜日/御武射祭(蟇目神事)
4月17日/例大祭
4月29日/奉献祭
6月30日/みそぎ祭(夏越し茅の輪くぐり)
10月16日/御日待祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/年越の大祓




参拝情報

◇平成29年以降参拝日
平成30年4月1日/春季例大祭御朱印帳
平成30年3月24日/さくらの日まいり
平成30年1月20日/初詣
平成29年11月25日
平成29年11月23日/いい夫婦の御朱印帳
平成29年9月9日
平成29年4月1日/春季例大祭御朱印帳
平成29年1月14日
平成29年1月1日/初詣

御朱印

通常御朱印(社紋)

 

通常御朱印(社印)

 

限定御朱印

春季例大祭御朱印

 

正月限定干支御朱印

[ 櫻木神社丙申御朱印 ]

[ 櫻木神社丁酉御朱印 ]

[ 櫻木神社戊戌御朱印 ]

 

さくらの日まいり御朱印

 

いい夫婦の日御朱印

 

御朱印帳

通常御朱印帳

[ さくらの木 ]

[ 爛漫 ]

[ 和紙らんまん ]

 

春季例大祭限定御朱印帳

[ 平成27年春例大祭御朱印帳 ]

[ 平成28年春例大祭御朱印帳 ]

[ 平成29年春例大祭御朱印帳 ]

 

年度限定御朱印帳

[ 平成25年黒革御朱印帳 ]

[ 平成28年金運来福御朱印帳 ]

[ 平成29年夜桜御朱印帳 ]

[ 平成30年曙桜御朱印帳 ]

 

いい夫婦の日御朱印帳

 

授与品・頒布品

 

歴史考察

野田市を代表する男女問わず人気の一社

千葉県野田市桜台に鎮座する神社。
旧社格は村社。旧桜台村の鎮守である。
由緒から紐解くと、野田市最古の神社とされている。
平成に入り境内が整備され、これと共に参拝客も増えた。『桜の宮』とも呼ばれる神社だけあって、境内には数多くの桜の木が植えられており、桜の名所として野田市では清水公園と共に知られている。
可愛らしい御朱印帳や御朱印は男女問わず人気が高く、御朱印ブームの火付け役となった一社と言えよう。

 

野田市最古の神社

藤原鎌足の末裔、藤原嗣良がこの地方に降りてきて、原野を開拓し、仁寿元年(851年)、この地に美しい桜の大木があったので、この桜の木の根元に祠を建て稲荷大明神(倉稲魂命)を奉祀し、ここを櫻木社と呼んだ。ついで、斉衡元年(854年)鹿島神社(武甕槌命)も創建した。その後、同族の藤原則忠(高梨相模)が永祚元年(989年)に桜の木のそばに神殿を建立し、土地の繁栄と家族や同族の平安を祈り、両神社の神職を継ぎ、この地を桜台と名づけたという言い伝えが残る。

<武甕槌命とは> 『古事記』では「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」や「建御雷神(たけみかづちのかみ)」、『日本書紀』では「武甕槌」や「武甕雷男神」などと表記される。鹿島神宮の御祭神として知られる。雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、藤原氏の氏神でもある。

これらの伝承から櫻木神社は野田市最古の神社と言われている。

 

古代祭祀に関する遺跡

櫻木神社の敷地内には桜台古墳がある。境内一円が古墳時代の古代祭祀に関する遺跡になっています。

<平成4年発掘調査より> 平成4年櫻木神社再建御造営に伴い、御殿地(宮司宅地内裏山)の発掘調査が行われました。その結果、古墳時代の住居跡などの遺跡の他、祭祀関連の遺物が多く出土しています。

この調査で出土したものの中には、全国でも類を見ない2例目の硬玉製(ヒスイ)勾玉・管玉・台形様石製品・剣先様装飾品・半円状石製品・玉杖などがあります。しかしながら、多くの石製品は加工途中のものや製作過程で出来た石のかけらなどでした。これらから、当時このあたりには石製品生産者集団(工人)の工房が存在したものと推測されます。

[ 櫻木神社境内遺跡出土品 出典:櫻木神社HPより引用 ]

 

桜台村開発の守護神

宮司家に残る社記によると、この地は古くから「桜木村」と呼ばれていた。当時、この一帯がどのような様子であったかは想像できないが、ここら一帯の地名が「原ノ内」と呼ばれており、おそらく森林を切り開いたところであったと推察される。後にこのあたりは「桜台村」となり、桜が咲き誇る美しい里だったと考えられています。『桜の宮と称へられている所以です。

古くより人の定住もあったとされることから、古墳時代の遺跡が発掘されるるのは納得がいく。境内の遺跡である桜台遺跡は、古墳時代前期のものであり、祭祀関連の遺物が数多く出土している。そのため、このあたりは神域として祀られていたものと推測できる。

 

藤原鎌足後裔の宮司家

宮司家である高梨家は古い家柄で、明治初年までこの村の名主を勤めていた名家である。高梨家に残る『櫻木神社由緒書』によれば、藤原鎌足五代の後胤冬嗣の三男嗣良が中央政界で思うような栄達の道もないまま、この地方に降りてきて、原野を開発し、稲荷・鹿島の両祠を建て、土地の繁栄と家族や同族の平安の祈り、自らは神主となったとあります。
その後、永延元年(987年)になり、藤原鎌足の八代後胤の藤原則忠が高梨相模と名乗り、農耕に従事する傍ら祭祀を継承したと伝えています。この藤原則忠が現在の宮司家(高梨家)の始祖となる人物です。現宮司家はその継承から28代目、初代から31代目に当たります。

 

親鸞聖人とのつながり

親鸞聖人と西念坊が一緒に東国布教しながら鹿島詣での途中、野田郷にきた際、高梨家に逗留したとされている。これは、先に西念坊の妹が高梨家に縁付いていたためだといわれている。親鸞聖人は高梨家の墓所である観音堂に念珠の菩提樹の一顆を柳の葉に包んで植え、仏法が盛んになることを念じたとの言い伝えが残っている。

 

醤油産業で発展した野田の街

野田市は江戸時代より醤油醸造業で栄えた町である。野田での醤油造りは、戦国時代・永禄年間で、川中島の合方の豪商である飯田家が甲斐の武田氏に醤油を納めたりしていたが、豪商でもあった飯田家は茂木家と姻戚関係にあったことから、野田に来て醤油造りを始めたというのが始まりである。その後、野田の醤油造りが盛んになった背景には、利根川や江戸川の川船交通の便が開け、参勤交代によって諸大名が住居を江戸に置き妻子を居住させてことで人口が増加し、江戸趣味の味覚醸成の影響があったようです。その上、野田は大豆産地の筑波山麓に近く、野田近辺は小麦、塩は行徳、江戸川の水が仕込み用水として最良の水質だった等々醤油の産地として好環境に恵まれた土地であった。大正初期頃までは江戸川沿いに野田上河岸が賑わいを見せており、野田で造られた醤油は高瀬船や外輪蒸気船で江戸川、小名木川を経由して東京へ運ばれていた。
天明元年(1781年)、前身である野田醤油の基礎になる亀屋市郎兵衛、高梨兵左衛門、粕屋七郎右衛門(茂木一族)、茂木七左衛門、大塚弥五兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛の7家が成立、野田醤油仲間結成。その後、茂木一族各家など醸造家が増えていき、 高梨家と茂木家が野田醤油醸造組合を結成。
大正6年(1917年)、高梨家と茂木一族七家が野田醤油株式会社(現 キッコーマン株式会社)が野田市に設立された。

野田醤油醸造組合は資力を活用して地域社会の発展にも寄与してきました。明治32年(1899)、野田人車鉄道の設立、明治33年(1900)、野田醤油銀行の設立、また、明治44年(1911)、千葉県営鉄道の開通、大正3年(1914)、野田病院の設立や大正12年(1923)には水道施設の敷設等があります。

<キッコーマンの名の由来> 前身となっている野田醤油の祖先が千葉県香取市にある香取神宮の氏子総代の茂木佐平次家で、その神宮の神域の山号が「亀甲山」であった。そこから「鶴は千年、亀は萬年(万年)」という言葉と組み合わせて「亀甲萬」という印を最上級の醤油に付けることとなった。この「亀甲萬」をカタカナにして商標としたのが「キッコーマン」である。

櫻木神社は高梨家、茂木家からの崇敬も篤く、野田醤油株式会社は櫻木神社から徒歩約10分程度のところに本社が置かれている。キッコーマン本社内には企業内神社である『琴平神社』が置かれている。琴平神社は櫻木神社の兼務社でもあり、この点からもキッコーマンを含む周辺企業から崇敬を集め発展していったと思われる。

 

平成に入り整備された見事な境内

かつて桜木村の鎮守として地域の方々からの崇敬を集めていた櫻木神社。社殿も現在のような立派なものではありませんでした。明治の神仏分離後、社格は村社に列しました。

<昭和初期の櫻木神社>

野田市は醤油醸造業で栄えた町であり、櫻木神社とも関係が深かったことから、神社の北西にキッコーマンの工場が位置していることが1944年(昭和19年)の古地図で確認することができる。

                      [ 今昔マップ on the webより ]

しかしながら、昭和20年前後の地図には神社の地図記号は記載されておらず、それほど大きな神社ではなかったことが窺える。その後、1974年(昭和50年)ころの地図に神社の地図記号がでてきますが、現在より少し北西に鎮座していることがわかる。

                                                              [ 今昔マップ on the webより ]

その後平成4年、氏子やキッコーマンを筆頭とした地域企業により御造営となったころには、現在の場所に地図記号が移っております。

                                                                 [ 今昔マップ on the webより ]

御造営後は境内の雰囲気がずいぶん変わり、参道が整備され、サクラの木々が植えられ、新しい建造物も増え、境内も清潔感の満ちたものになりました。

 




境内案内

桜が美しい大鳥居前と整備された参道

東武アーバンパークライン野田市駅から徒歩10分程度であるが、駐車場が300台分用意されていることから車での参拝者が多い。

黒系の鳥居であったが、グレーに塗りなおされた大鳥居。野田市最大の鳥居です。

日本三大桜の一つ。福島県三春町「三春滝桜」の実生クローン種の桜です。 再建御造営に際して植えられました。三春に因んで三本の桜が植えられました。

整備が行き届いており、鎮守の杜としての風格も兼ね備えています。参道を歩くだけで気持ちよさを感じます。

参道の途中にも様々な桜を見ることができ、撮影スポットもたくさんあります。桜の名所としても人気です。

大鳥居をくぐって暫く歩くと右手に日天社の鳥居が見えてきます。

天照大神と大国主命を祀っています。

しばらく歩くと再び右手に鳥居が見えてきます。

小御岳神社・浅間神社・大杉神社が祀られています。

さらに雷神社・琴平神社・粟嶋神社も祀られています。

ここから先が神域、境内になる。

神門横には、親鸞聖人、西念法師が参拝したことを記す石碑が建っている。

神門をくぐると右手に立派な手水舎がある。

 

美しく立派で存在感のある神明造の社殿

境内は美しく清潔感がある。神明造の社殿も立派であり、参拝する方々の多くが気持ちの良い雰囲気を感じるだろう。

社殿は平成4年の大造営で新しくなったもの。これだけ立派な社殿の姿から、地域での崇敬が篤いことが窺える。

社殿右手には菅原神社。

その隣には音女稲荷神社がある。明治十九年(1886)に創建された音女稲荷神社は、かつては野田市内の音女通りの一角に祀られていたが、平成18年に櫻木神社境内へ遷された。

さらに左手には御神水のお水取りができる一角がある。

境内には「KAWAYA ホール」と呼ばれるトイレがある。日本トイレ協会 2012グッドトイレ審査員特別選奨受賞しており、「生存に関わる大切な場所」という位置付けで作られたトイレです。このようなところにも、参拝者への心遣いを感じることが出来ます。

 

桜のデザインがかわいい、御朱印、御朱印帳

御朱印、御朱印帳は授与所にて頂戴することが出来る。

通常の御朱印は「社紋」と「社印」の2種類である。時期により限定御朱印が授与される。御朱印帳は「桜の木」「爛漫」「和紙らんまん」が通常版として用意されている。その他に、「年度限定御朱印帳」「春季例大祭御朱印帳」「いい夫婦の日御朱印帳」が期間限定で授与される。

兼務社の「野田愛宕神社」の御朱印も用意されている。また、今年に入って「KAWAYAホール」に鎮座する「川屋神社」の御朱印も授与されるようになった。

 

桜の名所でもあることから、桜をモチーフにした御朱印帳や御守りが人気です。
授与品も桜をモチーフにしたものが多い。

 

所感

管理人は何を隠そう、野田で育ちました。小学生の頃は、野田の神社といえば『愛宕神社』でしたが、その『愛宕神社』も櫻木神社の兼務社であり、歴史を調べていくうちに、櫻木神社が野田市最古の神社であると言うことを知りました。それ故、『愛宕神社』と『櫻木神社』は管理人にとっては非常に親近感のある神社です。

境内の様子からは旧社格が村社であるというのが信じられませんが、元々は小さな神社であったのであろう。しかしながら、平成に入り、キッコーマンをはじめ、氏子やその他企業の崇敬の賜物で、現在の清潔感のある整備された神社に変貌した。境内を散策すると、あちらこちらに桜の木があり、満開の頃には境内一面さくら、さくらという風景が広がります。また、清潔感がある境内は、万人が気持ちよさを感じると思われ、これも神社の参拝客に対する心配りなのであろう。社紋であり神社名にもある『桜』を大切にしており、桜の名所として知られるだけではなく、桜をデザインした限定御朱印や御朱印帳が人気を呼び、昨今の御朱印ブームの火付け役となった神社の一つです。

神社写真帖

[ 社号碑 ]

 

[ 大鳥居 ]

 

[ 参道 ]

 

[ 神門 ]

 

[ 扁額 ]

 

[ 手水舎 ]

 

[ 社殿 ]

 

[ 本殿 ]

 

[ 提灯 ]

 

[ 御朱印帳 ]

 

[ 境内社 ]

 

[ 御神水 ]

 

[ 社務所 ]

[ Instagram・SNS顔出しパネル ]

 

[ 絵馬掛・御籤掛 ]

 

[ 境内さくら ]

 

交通アクセス

◇東武アーバンパークライン野田市駅 徒歩10分

[脚注]
当ブログに掲載している情報は著者が参拝した時期の情報です。よって、最新のものではない可能性がありますので、何卒ご了解願います。
当ブログ内の古い資料画像は「今昔マップ」、「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」などを使用しています。
その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。



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