目次
沿革・概要
我孫子市日秀の将門神社は手賀沼を眼下の望む日秀の丘の南端に鎮座する。明治41年(1908)に字堀込の無格社水神社(祭神は水波賣命)を合祀して将門社から将門神社となった。祭神は平将門。将門信仰の中心的神社である。旧日秀村には将門に関する伝承がいくつも伝えられており、将門が幼少の頃過ごしたといわれるところでもある。神社東方には将門が開いて軍用に供したと伝える将門の井戸もある。社殿は嘗て木造茅葺(間口2間、奥行4間3尺)であったが、戦後取り壊され昭和30年4月に現在の石造本殿に改められた。
現在の本務社は我孫子市中峠の伊勢山天照神社です。
神社情報
将門神社(まさかどじんじゃ)
御祭神:平将門
合祀 :水波賣命
社格等:村社
例祭 :7月14日
鎮座地:千葉県我孫子市日秀131
最寄駅:湖北駅(JR成田線)
公式サイト:https://masakadojinjya.jimdo.com/
<御祭神:平将門> 平安時代中期の豪族。桓武天皇の5世子孫。京都の朝廷に対抗し『新皇』を名乗り東国の独立を標榜したことにより朝敵とされた。しかしながら、即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐され、将門の乱はあっけなく幕を閉じた。死後、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。
[築土神社旧蔵の平将門像]
御由緒
平将門は天慶三年(940)に戦歿したが、その霊は遺臣らとともに手賀沼明神下から日秀まで手賀沼を騎馬で渡り、沼のほとりの岡に登って朝日の昇るのを拝したという。その伝承の地に村人が一宇を建てて霊を奉祀し、鎮守としたのが当社の起こりと伝えられている。将門の三女・如蔵尼は父の三十三回忌にあたる天禄3年(972)に所縁の地である岩井に霊を祀った。それが沼南町岩井の将門神社であり、将門の神霊を所縁のある土地で祀る様になった始まりであるという。
日秀の地は、将門が幼少の頃過ごしたところとも言われ、神社の東方の字石井戸の低地に将門が承平二年(932)に開いて軍用に供したと伝える将門の井戸がある。また、日秀の地名を日出と記した例があるが、それは将門が日の出を拝したところから出たともいい、あるいは将門の遺臣の日出弾正がこの地に隠栖したのがおこりとも言う。その「日出」を「日秀」とも書き、「ひびり」に転訛したのであろうという説もある。
ともかく日秀の地は将門の伝承と関わりがあり、当社は旧日秀村の村社として崇敬されてきた。それとともに、桔梗を植えても花が咲かない、胡瓜(きゅうり)は輪切りにしない、将門調伏の祈願が行われた成田山新勝寺には参詣しないなど、旧村民の間にはいろいろな禁忌の習俗がある。それが当所だけでなく、他の将門神社を祀る土地にも見られる古来からの習俗として共通するする点が注目をひく。
なお、近年発掘された日秀西遺跡は古代の群衙跡かと考えられており、このあたりの集落形成の年代は古く遡ると思われる。もと将門社と称したのを明治42年4月9日に将門神社と改めた。
祭礼は正月六日のおびしゃと七月十四日の例祭を祇園(ぎおん)祭りと称し、初日の鎮守氏神における幟立から始まり三日間にも及び、また収穫を祝う秋祭りも行われていたが、現在は七月十四日の例祭のみとなっている。この日は「みやなぎ」と称し神社を清掃後、神主、氏子総代等の役員当番により神前にて玉串を上げ、当屋において直会の宴がある。その時当番の家の門口へ「奉納将門大明神」(天保六年正月奉納)の幟を立てるのでそれとわかる静かな祭りとなっている。
神事・祭事
1月1日/歳旦祭
1月6日/おびしゃ
7月14日/例祭
参拝情報
参拝日:平成29年12月15日
御朱印
御朱印はやっていないと思われる
[2018.1.2更新]
御朱印は本務社である伊勢山天照神社(我孫子市中峠)でいただくことが出来ます。初穂料は300円。
歴史考察
旧湖北村村史に残る将門神社
旧湖北村(現在の市我孫子)村史に、「天慶3年公の戦没するに遭うや、その遺臣等嘗て公が手賀村布瀬明神下より手賀沼を騎馬にて乗り切り、湖畔の岡陵に登りて馬を繁ぎ、旭日朝天を拝せし地域に於いて一宇を奉奉祀し、公の神霊を迎えし」という伝説を掲載している。「公の神霊を迎えし」とは将門神社を指していると思われ、多くの文献にも由緒として伝えられている。また、将門神社は、この日秀の地における将門信仰の中心的存在でもある。
日秀の地名
日秀(ひびり)の地名についても、将門の霊位が日の出を拝したからとも、またその遺臣である日出弾正なる者がこの地に隠栖(いんせい)したことから、日出(ひいで)村と呼ぶようになったとも伝えられているが、日出村の呼び方は元禄十五年(1702)の水神社の石祠(現在境内鳥居脇に遷されている)にも認められるが、寛文十二年(1672)の庚申塔には「日秀村」と刻まれている。江戸初期には両様に用いられていたことがわかる。
将門伝説が残る旧日秀村
旧日秀村には将門伝説が数多く残っており、一説には本拠地がこの地にあったともいわれています。有名なものとしては、『桔梗を植えても花が咲かない』※1 、『胡瓜(きゅうり)は輪切りにしない』※2 、『成田山新勝寺には参詣しない』※3 があります。
※1 愛妻・桔梗御前の裏切りによって将門が討たれたという伝説があるため
※2 将門公の紋所である九曜紋が、胡瓜の輪切りに似ているため
※3 平将門の乱の際、成田山新勝寺で将門調伏のための護摩祈祷が行われたため
『成田山新勝寺には参詣しない』は「神田明神」を始め、同じ千葉県でも市川市の大野町周辺など、将門伝説が残る地に浸透している将門伝説に纏わる禁忌である。成田山の開帳の折には、血の雨を降らせたとも伝えられていることもあり、千年もたった今でも、成田山との和解は出来ていないようです。
将門が軍用に供したといわれる将門の井戸
将門の井戸は将門神社の南東の低地、日秀字石井戸にある。潅木の茂みの中、老樹に抱かれるように静かに水を湛えています。井戸の側には「将門の井戸・承平二年将門か開き軍用に供したと伝えられている」と記された角柱が立っています。『湖北村誌』に「中相馬七ヶ村には七つ井戸と称して必ず一村一個有せり、之を大日井戸と云う」とある七つ井戸のひとつが、この将門の井戸である。この七つ井戸は、各村によって呼び方が異なり、日秀では石井戸と称していた。
[石井戸にある将門の井戸]
将門信仰の中心的存在
将門に関する伝承がいくつも伝えられる日秀においで、将門信仰の中心的存在はもちろん将門神社であるが、日秀観音ももうひとつの中心的存在といわれている。成田街道沿いに観音寺という曹洞宗の寺がある。寺内に九曜紋を施した御堂である観音堂、「日秀観音」です。寺の縁起によると、この観音堂内に平将門の守本尊と伝えられる聖観音菩薩を安置する。この像は行基菩薩の作といわれ、将門が承平二年この地に石井戸を開き、近くに堂を建てて観音像を安置し、武運長久を祈り信仰していたといわれている。
例祭とおびしゃ
神社の年中行事としては七月十四日の例祭がある。この日を「みやなぎ」と称し、神社清掃後、神主、氏子らの玉串奉奠のあと、直会の宴がある。当番の門前には「奉納将門大明神」(天保六年正月奉納)の幟を立てる。一月六日(平成三十年は一月十四日)のおびしゃに、将門神社では成田山に向かって射る。
「おびしゃ」は、おもに茨城県から千葉県にかけての利根川沿いで多くおこなわれてきた農村の神事で、三本足のカラスや鬼を描いた的を弓で射て、豊凶を占うものである。語源は、馬に乗って弓を射るのに対して、馬に乗らずに弓を射る「歩射」がなまったものといわれるが、 近年の研究で「日射」説も出ている。また地域によって、「奉社」「奉射」「備社」「備射」 「毘射」など、いろいろな漢字が当てられている。
社殿の改築と石造の鳥居
社殿については明治の「神社明細帳」に木造茅葺(間口2間、奥行4間3尺)と記されている。しかしながら、老朽化もあり戦後取り壊され昭和30年4月に現在の石造本殿に改められた。切石積の二重基壇を高く築き、石祠を安置する。ご神体は当番がお守りしてきたという。石祠は、切妻造の正面の屋根を一部葺下げて向拝とし、身舎の床面より一段低い浜床に相当する平板石の面に、石柱の向拝柱を立てている。
鳥居については『湖北村誌』によると、大正年代までは木造鳥居であった。それが石造りの稲荷鳥居(台輪鳥居)に建て替えられ、柱の根元の部分は根巻になっている。扁額には「将門大明神」と記されている。
将門神社の拝殿建立
「将門公生誕1113年を期し改めて石祠に御鎮座賜り拝殿を造りあらためる」こととし、平成28年、本殿前に拝殿が建立された。間口2間半・奥行2間、銅板葺・切妻屋根の土間拝殿ですっきりした建物である。正面の桁に平氏の家紋である揚羽蝶が付けられ、社殿内には家屋・建築の4神が記された棟札が奉納されている。拝殿建立を機に参道を敷石にし、鳥居を修復しフェンスの設置もなされた。また、正面右に将門神社と刻した拝殿建立記念石が建てられ、手水鉢も参道左側に移設され美しい境内となった。
神社写真帖
[ 境内入口 ]
[ 鳥居 ]
[扁額]
[ 手水鉢]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 賽銭箱・ポスト ]
[平家の家紋揚羽蝶]
[鳥居と拝殿建立記念石碑]
[日秀の丘から手賀沼を望む]
交通アクセス
◇JR成田線湖北駅 徒歩20分
[脚注]
当ブログに掲載している情報は著者が参拝した時期の情報です。よって、最新のものではない可能性がありますので、何卒ご了解願います。
当ブログ内の古い資料画像は「今昔マップ」、「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」などを使用しています。
その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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